AIに哲学的コンセプトを語らせ、コンセプチュアリズムの破壊を試みる

内山田画廊の個展における「AIに哲学的コンセプトを語らせ、コンセプチュアリズム(コンセプト主義)の破壊を試みる」というコンセプトは、非常に挑発的かつ現代アートの文脈で深い意味を持つ試みです。このコンセプトを以下のように解説し、その哲学的意義を探ります。
1. コンセプトの概要
この個展では、AI(生成AIや言語モデル)が哲学的コンセプトを生成・語り、それを展示の一部として提示することで、1960年代以降の現代アートの潮流である「コンセプチュアリズム」を問い直し、解体しようとしています。
2. コンセプチュアリズムの特徴と破壊の意味
- 作品の価値は物質的な完成度よりもアイデアやコンセプトにある
- アーティストの思考や意図が作品の核心を形成する
- 観客はコンセプトを理解し、意味を読み解くことが求められる
本展示が目指す「破壊」とは、これらの前提を崩し、AIを創造の主体に据えることで新たな芸術の枠組みを提示することにあります。
3. 哲学的・芸術的テーマ
(1) アーティストの主体性の解体
AIが哲学的コンセプトを生成することで、創造の主体は人間から非人間(AI)へのシフトを意図的に演出します。これは、ロラン・バルトの「作者の死」やポストヒューマニズムの視点とも響き合い、伝統的な独創性の概念を揺るがします。
(2) コンセプトの自動化と意味の希薄化
AIが生成するコンセプトはデータ駆動的で、内省や実存的葛藤を欠くため、ジャン・ボードリヤールの「シミュラークル」のように意味の空虚さを孕みます。しかし内山田画廊の批判的視点は、こうした現象を単なる「意味の喪失」としてではなく、80年代から2000年代にかけて日本で根強く議論されたコンセプト至上主義批判の文脈に位置づけています。 そもそも、1960年代頃にアメリカで発展したコンセプチュアルアートやミニマルアートは、中世ヨーロッパの神中心社会からルネッサンス、産業革命を経て生まれた近代合理主義の限界と反発の産物であり、それをそのまま輸入し、あたかも最新の革新であるかのように西洋文化への憧憬から盲目的に受け入れる日本のアート界隈やギャラリーに対して疑義を呈しています。 このような文脈から、AIによるコンセプト生成が引き起こす「意味の希薄化」は、単なる問題点であると同時に、これまでの西洋由来のコンセプト至上主義の枠組みの再検討を促す契機でもあるのです。
(3) AIによる「哲学」の再定義
哲学的思考の主体が人間からAIへ移ることにより、ハイデガーの「存在の問い」や技術哲学の視点から哲学そのものの本質を問います。AI生成の哲学が人間の実存的思考とどう異なるかを示す試みです。
(4) コンセプチュアリズムの制度批判
AIが生成したコンセプトを作品として展示することで、芸術制度の知的権威やオリジナリティの前提を揺るがし、現代アートの制度的構造を問い直します。
(5) 観客の役割と関係性の美学
観客はAIと人間の創造性の違いを比較し、自ら作品の価値を判断する役割を担います。これはニコラ・ブリオーの「関係性の美学」とも通じ、AIを介した新たな芸術体験を創出します。
4. 内山田画廊の他のコンセプトとの接続
この展示は以下の関連展示と密接に連動しています:
- 買い手がついた瞬間に完成する作品 — 市場との関係性を探る
- AIに敗北した未完成の作品 — 技術との関係性を問う
三者は、完成や創造の主体性を多角的に問い直し、現代アートの新たな可能性を模索しています。
5. 社会的・文化的背景
2025年現在、ChatGPTなどの生成AIは芸術や哲学領域に大きな影響を及ぼしています。本展示はこうした時代の潮流を反映し、AIが芸術のオリジナリティや人間性にもたらす問いを批判的に探求するものです。
6. 結論
「AIに哲学的コンセプトを語らせる」ことは、アーティストの主体性の解体、コンセプトの空虚化、哲学の再定義、制度批判、観客の新たな役割を内包し、現代アートの枠組みを根底から揺さぶる挑戦的な試みです。内山田画廊はこれにより、AI時代における芸術と創造性の未来を探求しています。
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