行きつけの雀荘に行ったら客の山本さんがいない。
趣味は麻雀
私は麻雀が趣味です。高校生の時友達に誘われて以来すっかりハマってしまい、四十近くになった今でもよく麻雀を打っている。
さすがに高校の時の友人と打つ事はなくなってしまったが、代わりに雀荘へ通い、見知らぬ人や顔なじみの常連客と楽しくフリー麻雀を打たせてもらっている。
私がよく行く雀荘は「ホワイトドラゴン」という名前の店で、比較的客の年齢層の高い雀荘だ。
客の六割くらいは顔なじみであり、店員も愛想のいい人間が多く、マナーの悪い客があまりおらず、雰囲気もアットホームな良店である。
仕事を終えて雀荘へ
ある日、いつものように仕事を終えて「ホワイトドラゴン」へ行った。見慣れた店員の聞きなれた挨拶に、卓に座って麻雀を打つ顔なじみの姿。はっきり言って、家よりもここのほうが落ち着くかもしれない。
「あそこの卓、あと10分くらいで割れるんで。そしたら入れますよ」
「はいよ」
待ち合いスペースのソファに腰をかけ、どこを見るともなく店内を見回した。
会社員でまっすぐ麻雀を打つ中原さん。
フリーターでやたらと麻雀の強い鈴本さん。
見慣れた顔ぶれに安心感を抱きながら、私はもらったおしぼりで顔を拭いた。
山本さんの姿が見えない
ところが店内を見まわしている内に、私はある違和感を抱いた。何かが足りないような、妙にすっきりしないこの感じ。
……ああ、そうだ。
山本さんの姿が見えないのだ。
山本さんというのは70過ぎのじいさんで、本当に365日通っているのではないか?というくらいの超常連客である。
いつも当たり前のようにいるそのじいさんの姿が見えない、違和感の正体はそれだったのだ。
v 私は実に妙な気分だった。
というのも、私はその山本さんが嫌いなのである。
麻雀の調子が悪いとすぐ不機嫌になり、とにかく上からものを言ってくるウザい客であった。
ハッキリ言って「さっさとくたばってしまえばいいのに」とさえ思っていた。
しかしいざその姿が見えないとなると、開放感というよりは、何だか妙な寂しさのようなものがあった。
いなくなった山本さん
「マスター、今日は山本さんいないんだね?」マスターにそう問いかけてみると、マスターは表情を暗くして、私の向かい側に座った。
「ああ……実はね、山本さん亡くなったんだよ。自宅で、急性心不全だってさ。なんかあっけないよね。あの人はもうずっとここで麻雀打ち続けるって思ってたからさ。本人も『俺は麻雀打ちながらくたばる』なんて言ってたくらいだし。まぁちょっと面倒くさい人だったけど、寂しいもんだよね」
「そうなんだ……」
山本さんに対してさっさとくたばってしまえばいい、そう思っていたのは本心である。
しかしもう二度と卓を囲む事も、上からものを言われる事もないと思うと、やはり寂しいものがあった。
山本さんありがとう、と書かれた紙が店の入り口に貼ってある。
マスターが書いたものだ。
……まぁいいとは思うが、(それ、剥がすタイミング難しくないか?)と私は思った。