麻雀の楽しみを覚えて

実は麻雀を覚えたのは子供の頃で、親父が打つのを見よう見まねで、其の後、4年間の大学を終了頃には、学生寮での麻雀仲間にはよくよく揉まれて、しごかれるかれて、そして、一人前の”麻雀打ち”になったのである。 

田舎(福島県いわき市)へ戻って地元の会社へ就職したが、当時は麻雀はおお流行りで、やはりこの会社、職場にも麻雀仲間はおりました。 


新入社員として誘われるままに初打ちに臨みましたが、同僚や諸先輩から「中々、やるもんだね」とチョット、お褒めの言葉を戴いた程であった。



貧乏人の掛マージャン

頻度は週に概ね1回から2回ずつ、会社の娯楽室か週末などは其々の居間を借りて、順番の持ち回りで打ち方を楽しみますが、いずれにしても貧乏人の掛マージャンだ。 

当時のレートは点・ピンといって1000点100円、つまり箱点(箱の中の点棒が空になる状態)で3000円相当でした。 

その時は、自宅の奥さんにもお世話を戴き、小生などは当時は未だ独り身であったので、母親か親父が世話をしてくれました。 
そうなんです、当時は雀荘では余り使用せず、其々の自宅の一間をお借りしてやったもので、つまりは、麻雀は家族同士のお付合いの場でもあったのですがね。



麻雀の逸話・神業の九蓮宝燈(ちゅうれんぽうとう)とは

因みに、麻雀の逸話に神業の九蓮宝燈(ちゅうれんぽうとう)というのがある。 

当時を振り返って、殆どの役満貫(親は3万6千点、子は2万4千点)はやっておりますが、さすがに九蓮宝燈(ちゅうれんぽうとう)は未だ果たしてはいません。 


何でも巷間、九蓮宝燈を挙った者は死ぬという迷信もあり、要は究極の役満ともいえる上がり役で、九蓮宝燈を成立させたことで全ての運を使い果たし考えられているためらしいのです。 

中にはお祓いを受けたり厄落としをする人もいるとききますが、永年、麻雀を打っていて自らはおろか、他の人にも、幸いと言えるかどうかお目にかかった事はございませんでしたがね。



役満貫を放銃(ほうちゃん)

私の印象に残る麻雀の一番だが、ある時こんなショッキングな経験がありました。 
例によって徹夜マージャンをしていた時の真夜中のウシミズ時、やや頭のほうもぼんやりとしていた時期に、いつしか高い役の手がやってきたので、早速、テンパイリーチで構えていた。 

ふと見渡すと下側の親の様子がおかしいのでチョッと中身を覗いてみたら、何と「緑一色」(リューイーソー、役満貫の手)を聴牌(テンパイ)しているでないですか、その直後にその聴牌牌を持ってきてしまったのだ。 

私はその牌を持ったまま”ウオーッ”と大声を発したま逃げ出してしまったのだ。 


その後は皆で大笑いでしたが、今では懐かしい思い出の一コマですな。

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