内山田画廊エッセイ

若手芸術家が生きていくには写実しかないのか?

最近の日本市場での芸術家の売れ筋作品の傾向といえば、基本的には写実ベースのメッセージ性を持たせた作品が主流であると言える。

というか、日本では、それ以外の表現で無名の芸術家が生き残ることがほとんど困難な環境や市場となっている気がする。
要するに、実力派と呼ばれ基礎技術を徹底した作品に対して、資産的価値が担保されて、かろうじて売り買いされていることが残念ながら日本の状況なのである。

例外的に、超有名な現代アーティストの作品も日本の市場で売り買いされているが、傾向としては海外で認められ、日本で売れるようになるケースがほとんどだ。

日本の市場では、現代アートに対するしっかりとした評価基準を持っていないため、海外の評価を持ち出し、それを基に現代アートが売り買いされている状況である。

また、有名作家の現代アートの売り買いさえも投機的な目的での売買が大半である。

それでは、無名の現代美術家は日本では生きていけないのだろうか?

実際には、日本の大半の美術家と呼ばれる人はアルバイトや美術講師などの副業で細々と生計を立てている現状である。

この現状で日本で芸術家が育つはずがなく、海外に活躍の舞台を移さなければいけないという考えが頭をよぎる。

しかし、海外で活動するには様々なハードルがあり、実質的に活動できる人は少なくなる。
そのため、日本にかろうじて市場がある写実主義に走るのは、画廊も芸術家も生き残るための必然である。

また、近年の美術教育の弊害は、海外の美術市場の影響を受け、テーマやコンセプトに傾倒していることにある。
しかし、残念ながらテーマやコンセプトの基となる根本の精神性や哲学が貧弱であり、そうした人間教育がなされていないまま芸術を展開しようと試みていることが現状である。

そのため、技術はあっても、どこか窮屈で暗い作品が多いが、日本の市場も審美眼が育っておらず、実力を基準に作品を売り買いが成立してのが今の日本である。

これでは、人材は育たず、日本は芸術後進国のままである。

内山田画廊の使命

内山田画廊の使命は、埋もれた才能の発掘と現代美術家の支援と育成、現代アートの市場の再整備と芸術を通した社会の発展に尽くすことである。