内山田画廊 現代アート三部作:創造の主体と完成の境界を問う

輸入された「コンセプト至上主義」への応答として
内山田画廊は、欧米から輸入された現代アートの「コンセプト至上主義」に対し、その制度的自明性(制度や慣習として当然とされ、疑問を持たれにくい前提や価値観)を問い直す批評的実践(既存の価値観や制度を批判的に検証し、新たな視点や解釈を提示する活動)を展開しています。
1960年代のアメリカで発生したコンセプチュアルアートやミニマルアートは、中世ヨーロッパの神中心社会からルネッサンス、産業革命を経て成立した近代合理主義とその限界、反発から生まれたものです。
しかし、日本のアートシーンではこうした西洋由来の思想や作品を「最新のアート」として盲目的に受け入れ、それまでの日本独自の文化的接続を捨て、外国の権威に依存しすぎる傾向(いわゆる「西洋かぶれ」)が顕著であり、これに対して強い疑問を投げかけています。
特に、AIによるコンセプト自動生成を意図的に用いる展示は、輸入され希薄化された日本のコンセプチュアルアートの限界と矛盾を露呈させる機会と捉えています。
これは、ジャン・ボードリヤールの「シミュラークル」(実物や現実の模倣が繰り返されることで、本来の意味や実体が失われ、現実と区別がつかない「虚構の現実」や「意味の空洞化」が生じるという哲学的概念)に通じるように、日本における輸入された文化的接続を欠いた空虚なコンセプト至上主義への挑戦的試みを示しています。
このコンセプトをAIに生成させる試みは、単なるAI批判にとどまらず、日本のアートシーンにおける西洋のコンセプチュアルアートの模倣や輸入思想の問題点を浮き彫りにします。
同時に、それはこれまで制度的に保証されてきた「意味の重さ」(美術館やギャラリー、批評家、市場などの芸術制度が作品の意味や価値を社会的に認め、裏付けること)を相対化し、AIによって揺らぎ始めた創造の主体や意味生成の本質を問い直す重要な契機となっています。
これらの視点を以下の三部作を通じて、現代アートの「意味」「主体」「完成」を問い直す試みを行っています。
- 創造の主体とは本当にアーティストか?
- 完成の定義は誰が決めるのか?
- 意味の生成は人間にしかできないのか?
1. 買い手がついた瞬間に完成する作品
アーティストではなく「市場」が作品を完成させるという逆転の発想。
2. AIに敗北した未完成の模写
AIによる写実画像に、人間が到達できないという現実を未完成という形で表現。
3. AIが語る哲学と意味の虚構
AIによるコンセプト生成が、コンセプチュアリズムの中核を揺るがす。
各作品は単なるコンセプトではなく、「制度」「技術」「市場」との関係性の中で現代アートを相対化する試みです。
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